テクノスフェア(技術圏)と経済成長中心社会

前回のポストでは、インフラストラクチャー、日常生活、地球環境の変化の間にある複雑な関係を概観してきました。この関係を作り直すことこそが、人新世を生き抜くための最重要課題だと言っていいでしょう。

前回のポストから少し間が空いてしまいましたが、今回のポストではインフラストラクチャーがなぜこれほどまでに増殖しているのかを、「インフラストラクチャーの自律性はどこから来るのか」という角度から考えてみたいと思います。

前回のポストのポイントは、日常生活で我々が経験する満足や効用とエネルギーや資源の消費量の間には単純な比例関係はない(現在の消費量が過去と比べて激増したからといって、消費経験の満足度が同じように急上昇したわけではない)ということ、エネルギーや資源の消費の多くが個々人が選択できないインフラストラクチャー(食料供給網や電力システムなど)の中で生じているということでした。

デザイナーの John Thackraその著書で製品、サービス、インフラストラクチャーの環境負荷の80%は設計段階で決定されるというデータを紹介しています。つまり、環境負荷の少ない生活をしようと消費者が努力しても、製品、サービス、そして選択の余地がないインフラストラクチャーに環境負荷が既に埋め込まれている以上、消費者によって環境負荷を下げる余地はかなり少ないということになります。

このことは、環境問題について多くの人々が感じている居心地の悪さの理由を説明してくれるのではないでしょうか?

授業等で学生に人新世の話をすると、「なんとかしなくてはいけない」というポジティヴな反応を示す人が多い一方で、同じくらい多くの人が「どうしたらいいのかわからない」という戸惑いを表明します。

さらに、ネット上の議論などをみていると、個々人が自ら努力して環境負荷を減らすべきだ、という環境運動の主張に対して反感を持つ人も結構います。「環境負荷を減らした方が良いことはわかっているが、実際にどうしたらいいかはわからない」と感じているところに、他人から「環境のために生活を変えるのが正しいことだ」と言われると、できもしないことの責任を押し付けられているように感じてしまうのではないでしょうか?これまで述べてきたインフラストラクチャーの自律性というテーマは、こうした直感的な反感にも一定の根拠があることを示唆しています。

では、気候変動の原因が、一般の人の手を離れたインフラストラクチャーの増殖にあるとしたら、それをどのように理解したらいいのでしょうか?それに対して、どのような対策が可能なのでしょうか?

その答えの一端は、地質学者たちの新たな見解の中に見つかりそうです。地質学者や地球システム科学者の一部は、インフラストラクチャーを中心にした人工物の増殖は、人間のコントロールを離れていると実際に主張しています。例えば、デューク大学の地質学者のPeter Haffは、現在地球は人間が作り出した人工物による新たな層に覆われており、それは人間のコントロールを離れて自律的に増殖していると指摘しています。この層を彼は、「テクノスフェア(技術圏)」と呼んでいます。具体的にはテクノスフェアは、「大規模なエネルギーと資源の採取システム、発送電システム、コミュニケーション、運輸、金融などのネットワーク 、政府と官僚制、都市、工場、農場とそのほか無数の建造物システム」(上掲論文 p. 127)、つまりインフラストラクチャーから構成されています。

地球システム科学では、地球は、地球の核から地表までの岩石の塊である岩石圏(lithosphere)、循環する水環境である水圏(hydrosphere)、地表を取り巻く大気を構成する大気圏(atomosphere)、地表を中心に生息する生物が織りなす生命圏(biosphere)から構成されているとされます。技術圏、もしくはテクノスフェア(technosphere)は、既に存在してたこの四つの圏に加えて最近人間によって作り出されたもので、まさに人新世の地球システムを特徴付けるものと言えます。

テクノスフェアは、生命圏に属する人間が作り出したものですが、生命圏とは大きく異なる特徴を持っています。生命圏では全ての物質はリサイクルされます。例えば動物の死骸は微生物によって速やかに分解され、植物によって利用されるように、食物連鎖を通して物質は循環していきます。一方、テクノスフェアは限られた物質しかリサイクルせず、そこで作られた物質(例えば処分場に廃棄された家電やそこから流出したプラスチックなど)はそのまま地表に堆積していきます。これらの廃棄物の多くは生命圏に属する生物(微生物などの分解者)によっては分解されないばかりか、それらにとって毒性を持つものもあります。結果としてテクノスフェアは、生命圏を破壊しながら地表に廃棄物を蓄積していきます。また、気候変動の原因となる二酸化炭素を排出しているのもこのテクノスフェアです。

この観点から言うと、テクノスフェアとは主に岩石圏から鉱物資源と化石燃料を採取し、それらを変形して人間の使う製品や建造物を作り出し、最終的にはそれらを廃棄物として地表に蓄積していく、基本的に持続不可能なシステムです。

現在、テクノスフェアは急激に増殖しており、科学者たちは、その規模を30兆トンと推計しています。これは、地球の全ての場所において、1平方メートルあたり50キロの人工物が堆積していることを意味しています。例えるならば、地表に満遍なく冷蔵庫が敷き詰められているようなものです。

Haff は、テクノスフェアを構成する大規模な技術システムは、そのスケールの巨大さ故に、人間にとってコントロール不能な存在になっていると主張しています。彼によれば、人間がテクノスフェアを作り出してコントロールしているのではなく、人間社会がテクノスフェアのサブシステムとなり、人々はテクノスフェアの存続のために働いているのです。

この Haff の議論は冒頭で述べたインフラストラクチャーの自律性を理解する上で重要なヒントを与えてくれます。日常生活の中で、膨大なエネルギーと資源をほとんど意識しないまま消費してしまうのも、それを個々人の選択で変えることができないのも、Haff の言うテクノスフェアの自律性の具体的な現れであるように見えます。

ただし、地質学者かつエンジニアである Haff の見解は、(技術システムと人間社会の関係について極めてユニークで興味深い知見を含んでいるものの)インフラストラクチャーの増殖の背後にある人間社会の要因については十分に見通していないようにも思われます。インフラストラクチャーの増殖の背後には、人間社会の側の重要な要因があるのではないでしょうか?

そう考えたときに、最初に思い浮かぶのは、経済成長中心の現在の資本主義社会です。

経済地理学者のデヴィッド・ハーヴェイの都市についての理論は、インフラストラクチャーの一見、自律的な増殖の背後にある社会と経済を理解する重要なヒントになります。

ハーヴェイは、資本主義経済では需要が減退して経済成長が鈍化する危機が周期的に訪れるというよく知られた事実からスタートします。需要が減退するとは、人々がものを買わなくなることです。もともと先進国では必需品だけでなく生活を便利にするたいていの商品が行き渡っているので、新たな需要を喚起することはどんどん困難になっています。

このように普通の消費が停滞すると、新たな事業(工場の立ち上げや企業の設立など)が減るため、投資家の資金は行き場を失って不動産や建設事業などに向かい、バブル経済が生じます。さらに、政府は経済成長を維持するために、(資金があれば)自ら道路、高速鉄道などの公共のインフラストラクチャーへの公共投資を行います。また、しばしば民間の投資家がそれらに投資を行うことを促す政策をとって、経済を活性化しようとします。中国の一路一帯プロジェクトは中国の低成長を避けるために行われている史上最大規模のインフラ投資といえます。日本の日本の新幹線の延長やオリンピックのための東京の再開発もこうしたインフラ投資の一例です。

ハーヴェイは、このように経済成長の必要性のために、インフラ投資が行われることで資本主義の危機のたびに都市が再開発され、作り直されていくことを指摘しています。

さて、インフラストラクチャーの観点から見ると、ハーヴェイの指摘は、資本主義経済が、経済成長を維持するためにインフラストラクチャーを絶えず構築していくことを指摘しているように見えます。経済成長を維持するためには、絶えず活発に投資が行われる必要がありますが、普通の人がもはやものをあまり買わなくなってしまうと、その代わりに都市の再開発やインフラ建設によって経済成長を確保する傾向が強まっていきます。その結果、人々の生活とはあまり関係のないところで次々と新たなインフラストラクチャーが建設され、テクノスフェアが拡大していくわけです。

このように経済成長とテクノスフェアの拡大は密接に関係しています。つまり、テクノスフェアの拡張が止められないのは、我々の社会が経済成長を中心に組織されているためだと考えられます。これは単に日本の政府や他の国の政府が経済成長を重視しているというだけではありません。現在の世界秩序の中心にある主要な国際機関(特に世銀とIMF)は経済成長を人類の福祉の向上のために不可欠だと考えており、政府間の援助や政策協力などを通して、世界中の政府の行動を経済成長に向けて方向付けています。

経済成長至上主義、もしくは開発主義(経済開発を至上の目的とする政策)は、現在の世界を支配する強力な政治制度です。開発主義が支配的なパラダイムになったのは、第二次世界大戦の復興期である1950年代ですが、これは地球環境への負荷が急上昇したいわゆる「大加速(great acceleration)」の時代と一致しています。地球システム科学者の多くは、この経済成長と環境負荷の上昇は一体になっていると指摘してきました。

だとすると、テクノスフェアの持続不可能な拡張に歯止めをかけ、人類が生きてく環境を守るためには、開発主義から抜け出す必要があるように思われます。

このような開発主義の持続不可能性を、1980年代から指摘してきたのが、「脱開発」の研究者と活動家たちでした。今、彼らの主張は「脱成長(degrowth)」として知られています。脱成長とは、経済成長を社会の至上目標とはみなさない考え方です。

しばしば誤解されますが、脱成長は必ずしも経済成長一般に反対するものではありません。その批判の矛先は、現在の経済成長至上主義に向けられています。現在の世界では、社会や経済、環境がどのような状態であっても常に経済成長を目指すことが求められています。脱成長の主張者たちは、このような無理な経済成長至上主義を廃止し、社会の目的として平均寿命や健康、様々な指標で測られる幸福度のような別の目標を掲げることを主張しているのです。

脱成長という考え方は、無軌道に拡張するインフラストラクチャーを制御し、テクノスフェアを持続可能なものに変えていくためにも必要な考え方のように見えます。

生まれてからずっと経済成長至上主義の社会に生きてきた我々には、脱成長は一見、非常識な見方に見えます。実際、こうした考え方は長い間、マージナルな位置に留まってきました。しかし、最近では金融メディアの Bloomberg が脱成長に対して好意的な記事を載せるなど、潮目が急速に変わりつつあります。人新世のインパクトは、環境と人間の関係、人間とテクノロジーの関係だけでなく、現代の世界の最も根本的な制度と考え方を急激に変えつつあるのです。